大事にしている習慣【瞑想】

way of thinking

2019年に「心構えとルーティン」を書いた。それから2年。変わったところもあったし、変わらない部分もある。生きる意味が「幸せ」を感じることなら、幸せになるための行動や幸せを逃す行動を辞めないといけない。あぁ、そう考えると人生とは短いものだ!!

生きる意味

人生の目標について考えてみたことがあった。自分の生きる意味、使命、ミッション、、、etc。名前はどうだっていいのだが、要は「そこを目指していればたとえ途中で亡くなったとしても満足して死ねる」ことかと。思考実験の結果、私の目標は「個人の幸せの追求」となった。

なんだえらく矮小な考えと思われるかもしれないが、世界規模でのミッション(世界平和、貧困問題解決)等はピンとこなかった。

語弊があったらごめんなさい。でも、ブッダもたしか最初は「個人の幸せの追求」でなかったかな?不安の除去≒幸せの追求とも言えるし、個人で悟ったら大乗的に皆に広める、ということと理解している。

つーことで、「個人の幸せの追求」が私の使命。

怒りや不安の除去

幸せには足し算と引き算があって、それでいうと「怒りや不安の除去」は引き算。

世界平和や制度の改革、革命にとっては「怒り」は重要なファクターなんだろうけど、個人の幸せにとっては怒りは最も忌むべき存在でしかない。と、このオーディオブックが教えてくれた。

自分なりにざく切りで解釈すると、「怒りを持つと精神と身体が蝕まれ病気になる。また小さな怒りでもそれが癖になるので、もう一切怒りの感情を持たない方がいい」と言っていると解釈。

感情から病気→病気は辛い→幸福から排除、とこういうロジックになるわけです。世の中の成人君子が怒らないのは(ブッダ、ガンディー、身近にいる怒らない人)、すごい修行をして怒らない特性を身につけたんではなく、シンプルに怒ると身体に悪いから怒らんでおくか、くらいの簡単なロジックだったのかも。

怒りが長くなっているのでここまでにして、不安について。

不安も怒りと同じように、あると動けず、実態のない幽霊のように心を掻き乱し、精神や身体を蝕んでいきます。異論はないと思う。たしかに、太古の人類にとって「不安」という黄色信号は生存確率を上げるシックスセンス的な力だったんだろうけど、現代において「生存確率」上げるために不安を持つというのはあまり役立たないと思う。(とはいえ、道路の真ん中を目を瞑って歩いたり、軽装備で冬の登山を行ったり、誰彼構わず喧嘩を売る、などの行為には不安という黄信号は必要)

ということで、不安を持たないために日々の日常に「瞑想」を取り入れてます!

なるべく毎日座ることを目標に1日5分を目指しています!あんまり上手くいかない時は座れてないことが多い。

ふぅー、やっとことさ「瞑想」に辿り着きましたが、まだまだ語りたいとこがあります。「一日一食」、「読書」、「筋トレ」、「掃除」、「家族」・・・また筆が乗った時にでも。

それでは!

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