今回は、木下斉さんによる「凡人のための地域再生入門」の書評です。
私自身は、この本にも登場する地域おこし協力隊として活動しています。地域にも3年住んでいていて、本に載っているような状況も数多く見ています。
「誰か明確な悪人がいるというよりは、かつて機能していたはずの社会的な機能や枠組みが今の時代に合わなくなってきただけのことが多い」
という著者の言葉で全て納得します。対立につながる構図がこの言葉に現れている一文です。


大事だと思ったところに貼る付箋は飽和状態です。とにかく勉強になった。
ロジックとエモーション
香春町というローカルに入って早3年。子供もでき、知り合いは増えてきました。
空き家バンクを担当している特性上、地域の歴史や人間関係にも気を使わないといけません。
働きだした当初は『わかりやすい説明』と、『なぜ空き家がデメリットなのか』を偉そうに説いてまわりましたが効果はいまひとつ。

逆に有力者の鶴の一声で空き家を登録する人もいました。
そこで、私はエモーションの方に流れていきましたが、逆にエモーションに慣れてしまうとロジカルに考える癖を失ってしまい、エモーション頼みの「運」勝負になります。
エモーションかロジカルかの2択ではなく、「ロジカルを基本としたエモーションとその見極め」が答えなのかもしれないですね。
特に地域でのビジネスで重要となる「エモーション」、情への理解です。ーーー中略ーーー今回は、ロジックとエモーションという両輪をともに伝えるべく、小説形式で地方での事業のリアルを書くことにしました。
「凡人のための地域再生入門」より引用
メインストリートと路地裏の価値が逆転
小説では商店街の店舗に関して書かれていますが、これは都心と田舎の構図にもあてあまります。
私も含めた協力隊が協力隊になる理由の一つとして、「都会よりも田舎の方がメリットがある」と思ったからこそ、協力隊になってきたわけです。
それは都会絶対主義の価値観が変わってきているということも意味しています。
- 自然が近くにある
- 若いだけでも価値がある
- 消費に踊らされなくていい
- 野菜を作りたい
- 家賃が安い
- 人でごみごみしてない

こういった部分と都会との生活を比較して田舎に分があるなと思って私は香春町に来ました。(嫁はそう思ってないでしょうが)
あーなんか、田舎賛美になりすぎてしまいましたね。
こんな田舎に満足している私でも一つだけ、一つだけ、田舎に来て痛感した
デメリットがあります。

それは、都会には人がいる、田舎には人が少ない、ということです。
人は人によってしか刺激を受けないんだなと最近感じます。本もいいですよ。でも、価値観の崩壊というのは人とあってその断片に触れたときかと。
人が集まればバカな話になり、遊びがうまれたり、癒されたり、恋愛したり、趣味を始めたり、と「ただ人が多い」というのはいいことなんだと実感しました。
そう思った理由は、ドローンを初めてやった時に、「なんておもしろ遊びがあるんだ!なぜ、ネットでもテレビでもこれだけドローンの情報が溢れているので今までスルーしてたんだ。もし近くにドローンやっている人がいたら、そこで刺激を受けて3年前にはやってたのに・・・」と思ったからです。
という時に、人がいないことがやばいことだと実感しました。

一方で路地裏は面倒な会費も付き合いもなく、不動産も安い。最近では路地裏の空気感が「味がある」と再評価されていることもあって、もはや、昔とはメインストリートと路地裏の関係が逆転しているらしい。
定期的にも地域の外に出て行った
つながりタイ新聞部、スキル×スキル全国展開、とかで町外に出て行くことも増えてきました。前述した通り、人と会うのは刺激を受け自分を成長させてくれます。
中毒性も高く、会えば会うほど人に会いたくなります。
もらった刺激を家庭内や、所属先に渡そうとすると乖離が起き始めます。
「あれれ、なんか反応がいまいちだな・・・」
逆の立場だと理解はできる事例。自分自身を戒めます。こうやって書いていくことで学んきたことを発表していきます。
外の様々な情報に触れてくるようになる。ヒントを掴んで戻り、新たな事業に着手するが、現場には情報が適切に伝わらず、仲間との乖離が大きくなりトラブルが発生したりする。行った先で見聞きしたことを伝えるレポートを書いたり、話をする場を定期的につくったり、出会ったひとを招くなどの機会をつくらなくてはならない。
「凡人のための地域再生入門」より引用

まとめ
今回は「凡人による地域再生入門」という本の書評を行いました。タイトルは固いですが、中身は小説形式ですらすら読めます。
地域あるあるや、仕事のやり方、未来の作り方など協力隊にとっても必須の内容になっています。是非、読んでみてください。
それでは!